
こんにちは、今日もカンボジアは雨です。カッパがないので濡れて帰るか悩み中。
この記事では、カンボジアで中間管理職をしていた私視点のお話です。時には現地の彼らとぶつかりながら試行錯誤しました。その中で私が彼らから学び、大切にするようになった5つのことをメモします。
頭部は神聖な場所として認識する
カンボジア(仏教文化)では、「頭は魂が宿る神聖な場所」とされています。触る・叩く・小突くは絶対にNGな行為です。また、相手の頭の上越しに物のやり取りをしたり、頭上をまたいだりするのも敬意を欠くタブーな行為です。
日本では「ツッコミ」や「親愛の表現」として頭を軽く叩いたり、触ったりすることがありますし、頭を触れることに関して特に考えたこともありませんでした。知らずにやった行動が相手を深く傷つけてしまうこともあるので、文化の違いとして一番気を付けているポイントです。
人前で間違いを指摘しない、怒らない
これは、彼らからすると「プライド」にかかわる問題。人前で怒ったり、注意したりすると、なにも良い方向に向かいませんでした。間違いを指摘するときには、個別に呼び出し、相手の防衛本能が働かないように「穏やかなトーン」で伝えることを心掛けるようになりました。
理由や具体例を添えて説明
説明する場面は色々あるんですが、特に「してほしいこと・してほしくないこと」には理由や具体例を付けるようにしていました。それでも、イメージも付かず理解が難しい時があるので、共通点を見つけて説明したり、実例を見せて説明するようにしていました。

ここだけの話ですが、理由や具体例は少しオーバー目に伝えるのと、理解していなくても『分かりました』トラップがあるので、引っ掛からないように頑張ってました。
自分の恩を押し付けない
例えば、
- 相手の誕生日にプレゼントをあげたのに、自分の誕生日には何も返ってこない。
- あれだけ時間をかけて教えてあげたのに、当たり前だと思ってる。
でも彼らには彼らなりの理由がある。
カンボジア(仏教文化)では、誰かに何かをしてあげることは、その相手から直接返してもらうためではなく、「徳を積む(功徳を積む)」行為として捉えられます。 彼らにとっては、「徳を積む」こと自体がポジティブな完了行為ということですね。
では、なんで私はもやもやしてしまったのか・・・日本特有の宗教的な考え方が根底にあるのかなぁなんて思ったり思わなかったり・・・

ここ何年かは「自分がやりたくてやってる」スタンスになったので、お返しがなくてもその物の行先がどうであっても気にしなくなりました。
が、当初はもやもやしてしまうこともありました。だって、ちょっとは期待しちゃうよね笑

毎日何かしら話しかける
「話さない=嫌われている・無視されている 」と感じてしまうことが多い彼ら。「私たち日本人の何てことない沈黙=怒っている、不満がある、拒絶している」と受け取られてしまうことも。日々のちょっとした雑談、服装や髪形のちょっとした変化など、『自分のことを気にかけてくれている』と伝わるような日々の何気ない声かけが、彼らの安心感に繋がっているようです。
以上、『中間管理職だった私が大切にするようになった5つのこと』でした。まだまだ大切にするようになったことはいっぱいあるんですが、ここには書ききれないのでまた気が向いたらっ
ばいばーい
